心を貫くその棘に
KUROU All Rights Reserved.







 吹き付ける風が冷たく、肌を切り裂くように躯を通過する。
 自分は大丈夫。髪をきつく結わき、真直ぐに遥か前方を睨むその瞳には、緩やかな炎が見える。
 なんでもない、大丈夫。傷付かないから。
 いつも先頭を歩くその躯はきっと傷だらけのはずなのに。

―――大丈夫だから。オレは。

 そう、悲しく潤む瞳を忘れられない。




 辛く思い躯を引きずりながら、あなたは微笑んだ。
 全身で受け止める波は、風は、何千もの刃となって切り裂くだろう。
 心に深い傷を刻みながら、それでも微笑むあなたを、愛おしいと思うのは可笑しいだろうか。
 この思いは、幻想なのだろうか。
 狂気で歪んだ感情だと、気付かせてはいけなかった。


 始めて出逢ったあなたの姿が、もう思い出せない。
 吹雪きの中に、消えて行く。








「思い出させてあげましょうか」
 ベットの中で、低く呻く野獣に向かい、男は唇に残酷な笑みを浮かべている。
「…忘れ捨てた…誰かの事を」
「…誰だっ。直江、何の事を言っている」
「まったく、自分に暗示を掛けてしまう程に私は憎らしいですか。あなたにとっての美奈子は、どうだったんでしょうね」
「……み…なこ……?」
 分からない。誰なんだそれは。唇にその名を刻んでも、思い当たる人物はいない。ふっと細くなる男の瞳を、睨み挑むが、両手を束縛されてベッドの両端に縛り付けられて動く事が出来ない。その瞳だけで、抵抗してみせる。が、それは男を更に狂喜に駆り立てる物でしか無い。
 足は自由なものの、あまり暴れると、バスローブ一枚のために裾がめくれ上がり、冷たい外気が直接肌を撫でる。太股までめくれたために、羞恥心で膝を立て、男の視線から逃れようと堅く閉じる。
 男の冷たい指先が、首筋をそっと撫でる。
 何かに貫かれたように、躯がびくっと飛び跳ねた。痺れるようなそれは、襟を剥ぎ、鎖骨を伝わり小さく突き出た突起に触れる。指の腹でくいと押しやって、くるりと遊ぶようにこねてみる。
「…っばっ…オレは女じゃねぇっ」
「でも、美奈子はこうされると、喜んでいた」
「だからっ誰だっ…あっ」
 強く爪で弾かれ、思わず顔を仰け反らせた。たまらなくなって、目蓋を堅く閉じ、眉間に深く苦悶の筋を刻む。強くつままれ、だんだんとそこが痺れていくのが分かる。
「痛いから…やめ…っ」
「…痛いだけじゃ、ないでしょう」
 男の手が、バスローブの腰紐を取り除く。露になった肢体が、男の視線から逃れようとねじってみせるが、すぐに腰を掴まれて押さえ付けられた。
 足をばたつかせ、男を蹴り飛ばそうと試みたが、それが裏目に出た。片足を男の肩に担がれ、大きく足を開く形となってしまったのだ。ぐっと男が体重を掛けてくる。さらに足が大きく開き、腰が浮く。
「…てめっ…苦し…い」
「まだ何もして無いはずなのに。もう感じましたか……気持ちいいんでしょう?」
「おまえ……っく……殺してやるっ」
「殺してみなさい。でも、もうあなたの全てで私を殺している」
「な…に……言って……」
「あなたの存在事体が私に刃を突き立てる」
 男の破棄捨てた台詞に、高耶は身動きが取れなくなった。
 この男は、どうしてこんな悲しく辛い顔をするのだろう。自分を見る目は、痛々しくそして呪うようなその眼差し。どうする事もできず、救ってやる事も出来ず、側に、いるだけでも彼を痛めつける存在が『オレ』なのだろか。ならばどうして、傷付きながらもオレを護るんだろう。


 するりと、男の長く筋張った指が高耶の内腿をぞろりと撫でた。他人に触られた事のない場所が拒否反応を起こしたように微かに痙攣する。そちらに気を取られていた高耶は、隙を付かれて唇を男に塞がれた。
 歯を閉じる前に、男の舌が侵入してくる。熱く口内に這い回るそれを、防ぐ事が出来ない。
 逃げる高耶の舌をからめ取り、吸い上げてわざと大きな音をたててくちゅくちゅと掻き回した。愛撫というよりも、貪られ、喰らい付かれて噛みちぎられるようだ。
 二人の唾液が混ざりあい、飲み込む事さえできないそれが高耶の口から艶かしく流れ落ちる。
 たまらず首を大きく振る。しかし、舌を甘く噛まれ、痛みに動けなくなった。
 呼吸が出来ない。鼻孔では補えきれず、抗いどうにか男の攻めを振り切ると、水に溺れた者のように荒く呻きながら空気を求めた。
 苦しさのあまり、瞳が潤みじわりと涙が溢れる。
「はぁ…はぁ……あっんっ」
 しかし、男は放してはくれない。左手で汗ばんだ胸を弄り、もう片方の手は立ちはじめた高耶の肉隗を激しく擦りはじめた。喘ぐ唇に、執拗に舌を絡める。
 
「んっ…苦しい……やぁ……っ」
「こんなにして、嫌らしい躯ですね。あの女より淫らで男を誘うなんて。自分で気が付いていますか?その眼が狂わせるんですよ」
「知らな…っ……どうして……」
「もっと、気持ちよくなたいでしょう。今日は狂ってもいいんですよ」
「…っ誰がっ……ヒッ……やぁ…ダメだっそこはっ」
 言いかけて、得も知れぬ感触が脊髄を痺れさせた。顔を必死にそこに向けると、男が股間に顔を埋めてそそり立った肉棒を銜えてこちらを見ている。目が合って、羞恥心で失神しそうになった。
 舌を這わせ、吸い、時折歯を当てる。こちらに視線をはずさないまま、じっと鳶色の瞳が高耶を射抜いていた。先端を舌でつつき、やがで張り詰めた筋にそって唇を這わせる。
「あ…あぁぁっ…いやだっ……んっく」
 たまらず顎を仰け反らせ、喘ぐ声を殺すように唇を強く噛み堪える。
「出してごらんなさい」
「やっ……っ…あぁっ…アッ…ん」
 こらえきれなかったすえた匂いの白い体液が、先端から溢れ出す。直江は唇を放し、それを潤滑油にして激しく上下に扱き出す。だらりと流れた体液が、浮いた尻の間に流れた。
 知らずに自ら腰を動かす。高揚した顔、怪しく潤む瞳。言葉にならない獣のような喘ぎ声を上げ、せがむように腰をうねらせる。
 それを見て、直江は残酷に笑う。
 親指の腹で、先の割れ目を執拗に擦り、くりっと爪で刺激を与えてやる。
「うああっ……あぁぁっ…あっ……もうで…るっ……っ」
 一瞬、意識が白く混濁する。
 背を弓のように反らせ、天を仰ぐように薄らと目蓋を開けた。だらしなく唇を開き、悲鳴のような叫びとともに解放する。自分の腹に、滴り落ちたにぶく生暖かい体液を感じながら、高耶は羞恥心と高揚感で目が眩む。
 直江は、手に滴った高耶の体液をぺろりと舐め取ると、そのまま高耶の唇に這わせる。半開きになった口内に滑り込ませ、二本の指で舌を弄んだ。
 自分のモノの嫌な匂いに、また涙を落として瞳を閉じた。
「唇が、切れてる。そんなに声を我慢しないで」
「…んっ」
「淫乱な姿。上も下も濡らして、そんなに欲しい?」
「……なおえっ」
「歪んだ顔は、屈辱で?それとも快楽で?…でも、身体は欲しがっているでしょう。もっともっとと、腰がせがんでる。下のお口がひくひくして待ってる」
 そう言って、直江は高耶を束縛していた紐を解くと、力無く身体を投げ出していた身体をくるりと俯せにして、ぐっと腰を持ち上げた。高耶は、肘で体重を支える事も出来なくてシーツに顔をうずめたまま呻く。尻を突き出し、膝を付いたまま大きく左右に脚を開かされた。
 屈辱的で、逃げ出したい程に酷い格好だった。
 男に見られているのだと思うだけで、また鎌首がそそり立つのを感る。自分の身体が自分の物ではないような感覚に混乱し、しかしすでにどこかが麻痺している。


 臀部を曝し、そこを男が左右から指でぐっと堅い蕾を無理に開く。
「もう…やめ……っ」
「もう?まだでしょう。もっと、欲しいんでしょう。あれよりも痺れるような快楽を、あなたに注ぎ込んであげる」
 つぷっと、何かが侵入してくる。
「いやっ……なにっ……なおえっ」
 身をよじろうとするが、腰を押さえられて身動きが出来ない。そもそも、もう抗う力は残ってはいないのだが。たまらずシーツに顔を擦り付けて、異物の侵入に耐えきれずに鳴き叫ぶ。
「力を抜かないと、きついのはあなたですよ」
 言うなり、強い力で猛った肉棒をねじり込む。
「…!ヒッ……無理だっ……そんなのっ……っく」
 満足な愛撫もせずに、慣らされてもいない恥穴は男を阻む。きつく締め上げられ、男が小さく呻いた。気を抜くと弾き出されてしまうそれを、力一杯にぐっと押し込む。
「もっとっ…力を抜いて。俺を拒まないで」
「ああぁっ……っ…痛いっ…もっ…うっ」
 異物の無理な侵入に、排泄感とは違う奇妙な感覚に脊髄に痛みが走る。かたくなに受け入れない高耶の気を反らすために、直江は痛みで萎えかけた高耶の肉棒を乱暴にしごきだす。
「はっ……あっ…」
 一瞬の緩みをつき、腰を使い根元まで叩き付ける。
「ヒッ……ああぁぁぁっ!」
 獣の咆哮のような悲鳴をあげて、肩を震わせた高耶は失神しそうになって目を剥き、シーツを掴む指をゆるゆると手放した。しかし、男がそれを許さない。痛みが腰から神経にまで達し、意識を手放そうとする獣を揺り起こす。
 小刻みに揺れていた男の腰が、徐々に力を増し尻に打ち付けるように揺さぶる。そうされる度に、高耶はシーツに顔を擦り付けて喘ぐ。すでにまともな言葉は出てこない。ただ男のリズムに身を任せ、爪が剥がれるまでシーツを堅く握りしめた。







 何度も理性を男に奪われ、夢に逃げようとすると痛めつけられ、だらしなく滴った唾液を飲み込む事も許されず、ただ潤んだ瞳で男を見ていた。
 自分を抱いているのに、どうしてお前が傷付いた顔をするのだろう。
 痛みに耐えて、泣きそうになりながら……決して快楽に溺れた顔をする事は無かった。それすらも、オレは与えられないのだろうか。

 喉が枯れるまで喘ぎ、声が出なくなるまで叫んだ。
 痛みとか、快楽とか、そんなものではなく。
 ただ、男の悲痛な心に触れられない自分がもどかしくて、悲しかった。

 全てを思い出せば、和らぐのだろうか?
 彼が求めているのが『景虎』ならば、彼をこんな風に狂わせたりはしないのだろうか。『仰木高耶』である自分では、彼を癒す事が出来ない。四百年の濁りを、分かち合う事は出来ない。
 自然と流れる様々な記憶の断片に、いつも誰かの優しい笑顔が見えた。
 あれはおまえだろう?
 それなのに、痛めつけられた獰猛な狂犬のようなお前が居るだけで。そうしてしまったのはオレなんだろうけれど。総てを奪ったのはオレなのだろうけど。

 でも、それでも…『やり直そう』と思ったんだ。
 きっと、それも間違いだったのかもしれない。
 ただただ、残酷な過ちだったのだろうか。








 ―――み・な・こ


 心に刻んで、高耶はなぜか許しを乞うように天を見上げた。
 そう、それは被害者の名前。

 『オレが犯した罪の名前』



 きっと、そうだ。


「んっ…あぁ…」
 何度目かの解放。もうすでに枯れ切ったはずなのに、男が貫く度に溢れ出す。
 そして、背中で男が辛そうに呻く度に、熱い体液がどろっと内部を満たしてゆく。すでに感覚はほとんどない。ただ疼くような痺れが腰全体を支配している。痛みもすでに飛んでいた。
「…んっ」
 ぞろりと内部から男が抜かれた。栓を抜かれ、命一杯注がれた男の体液がじわりと溢れ出す。それがまたねっとりと腿を這い回り気持ち悪い。

 荒く熱い吐息がうなじにかかり、男が覆いかぶさりながら耳朶をねぶってきた。淫らな音を耳もとで聞き、そしてやっと意識が離れて行く。





 うつろな魂が、ゆるゆると引きずられて暖かな肉隗に触れた。
 傍らに、熱源がある。
 規則正しい呼吸をくり返し、汗ばむ胸に顔を埋めた。
 猫のようにすりよって、しかし抱き締める事はできなかった。
 彼はまだ、そうする事を拒むだろうから。
 自分からはそうできない。
 

 男が、煙草に火を付ける。
 ゆるりと煙りが漂い、ジジッと小さく葉が燃える微かな音。


 彼の匂いがした。

 それは彼の纏う体臭だろうか。彼の愛用する香水だろうか。彼が吸うあの煙草の独特な香りだろうか。その総てが、『彼』であって、オレが生んだ幻なのかもしれない。オレの中のどうしょうもない『罪』が生んだ夜叉なのかもしれない。


「―――直江」




 その人の名を。刻んでみる。



 男がぴくりと反応した。

「直江」




 叫び疲れて掠れた声で。

「直江」



 痛々しい程に、優しく髪を梳く。
 その愛撫だけが、心地よくて。幼い子供のように涙が溢れた。


「…高耶さん……。ここにいるから。大丈夫」
 寝てしまいなさい。
 高耶の不安を感じたのか、そう男が言葉を発する。男の声も、どこか涸れていた。
 男が今、どんな顔をしているのか分からない。疲れ果てて顔をあげる力もない。目蓋を持ち上げる事も出来ない。彼が今どんな表情をしているのか。どんな顔でそんな優しい言葉を掛けるのか。分からない。
 だから、その声がとても優しくて。
 錯角してしまう。

 自分を蔑んでいるであろう男が。
 そんな優しく言葉を紡ぐから。

 勘違いしてしまうのも、おまえの所為だろう。
 弱音を吐いても、いいのだろうか。
 お前にだけ、本当の辛さを、寂しさを、痛みを。
 汚さ、卑しさ、醜さを。
 すべての醜態を。
 弱い心を。


 でも、それはオレの抜けない棘。
 どんなに求めても、求めてはいけないモノだから。
 棘だらけの身体で求めたら、相手を傷つけるのは分かってる。
 それくらい。オレだって。




 朝日が登る頃には、きっとおまえは消えている。
 その存在事体が幻なのだから。
 だからと。
 男の躯の熱を忘れぬために、高耶は今度こそ男を抱き締めた。





《終》








…20巻を前にやっちゃってます。はい。
そして美奈子さん、ごめん(ノ_-。)